福岡親善大使と行く!歴史・文化スポット巡り
福岡親善大使の皆さんと一緒に、福岡の歴史と文化を感じるまち歩きへ。定番スポットはもちろん、少しディープな情報まで、見逃していた景色をご紹介!次の休日は、ちょっとした非日常を味わいに福岡の歴史スポットにおでかけしませんか?
第5回は上田穂乃香さんと西部エリアをめぐります!
「元寇防塁と古墳を巡る」
博多湾を望む美しい海辺を舞台に、古墳時代から元寇までいくつもの時代が重なり合う歴史をたどるまち歩きへ。福岡市の西部エリアには、海や山、松林の豊かな自然の中に、元寇史跡はもちろん、数多くの古墳や、古い伝説を持つ神社がひっそりと佇んでいます。
長い歴史の中で、折り重なった物語を体感しながら、歴史と自然豊かな西部エリアを巡ります。
元寇防塁を見るならまずはここから!【今津 元寇防塁】(国指定史跡)
蒙古襲来から日本を守った「元寇防塁」。13世紀・鎌倉時代、当時ユーラシア大陸の広大な地域を支配していたモンゴル帝国・元による、二度に渡る侵攻の舞台となったのが、ここ博多湾でした(文永の役・弘安の役)。
一度目の侵攻(文永の役)では元軍の上陸を許してしまいましたが、九州の御家人たちの奮闘と、急ピッチで築かれた総延長20キロの石の壁、「防塁」によって日本は大きな危機を乗り越えます。現在も元寇防塁は市内各所に残っており、7地点10カ所が国史跡に指定されています。
中でも西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上、約3kmにわたって続いている「今津元寇防塁」は最も保存状態が良く、当時の様子を感じるには、必見のスポット。日向国(現在の宮崎)・大隅国(現在の鹿児島)の御家人が分担して築造したものと言われており、現在、約200mが公開されています。
海側からみた防塁の高さは約3m。「文永の役」での激戦を経て、満を持して再度侵攻を試みた元。勝利を確信していたのか、上陸後に使う予定の石臼など、生活用品まで船に積んでいたとも言われています。海を渡り、やっとの思いで博多湾に到着した際、目の前にそびえ立つ防塁を見て彼らは何を思ったのでしょうか…。
この防塁は台形状に石を積み、内部の隙間には砂を詰めた構造。なんと粘土を使わず、石と砂だけで作り上げているのです!石材も東西で異なり、西側に柑子岳の花崗岩、東側に毘沙門山の玄武岩を使用。中央部はその2つが交互に連続して続いています。築造を担当した日向国と大隅国の違い、また、国内それぞれの御家人の所領(領地の広さ)に応じて割り当てられた工事区間の長さを反映しているものとも考えられています。
隣接する元寇広場では、パネルや映像で元寇防塁の解説を行っています。もっと詳しく知りたい方はぜひ立ち寄ってみてください!
今津元寇防塁
- ■住所:
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福岡市西区今津
- ■アクセス:
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昭和バス福祉村施設前より徒歩10分
駐車場あり(無料):西区今津4820-2(社会福祉法人 野の花学園)
- ■電話番号:
- 092-711-4984(福岡市地域観光推進課)
国宝「蒙古襲来絵詞」に描かれた場所【生の松原 元寇防塁】(国指定史跡)
白砂と松原の境目をなぞるように、約2.5km続く「生の松原元寇防塁」。この一帯は肥後国(現在の熊本)の御家人が築造を担当しました。
元寇で大活躍した肥後国の御家人・竹崎季長が、自身の活躍の模様を戦の恩賞を使って描かせたと言われる「国宝『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』には、ここ、生の松原元寇防塁の前を竹崎季長一行が進む場面が描かれています。
発掘調査からは、石・砂・粘土を組み合わせた構造であることがわかっています。今津地区と構造は異なりますが、どちらも海側の垂直の壁に対して陸側がなだらかになっており、味方の人馬が上りやすい造りになっていますね。
元寇の痕跡は福岡県や長崎県を中心に残されていますが、防塁が残されているのは福岡市だけ!気持ちの良い海風を感じながら、松原の景色とともに歴史を間近に感じるスポットです。
生の松原元寇防塁
- ■住所:
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福岡県福岡市西区生の松原
- ■アクセス:
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R筑肥線 下山門駅より徒歩約15分
見学者用駐車場有(有料)、大型バス(1台)駐車可能、トイレ有
- ■電話番号:
- 092-711-4666 (福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課)
神功皇后伝説が残る神社【壱岐神社】
「生の松原 元寇防塁」から西へ歩いて約10分。壱岐神社の壱の鳥居が現れます。ここは「日本書紀」に登場する壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)をまつる神社です。大和朝廷で活躍した伝承上の人物、武内宿禰(たけのうちのすくね)が、無実の罪に問われ、命を狙われた際、その身代わりとなったのが壱岐値真根子でした。その忠義を伝えるために、ここに祭神としてまつられています。 また、生の松原という地名には神功皇后の伝説も。朝鮮半島へ向かう途中、勝利を願って松の小枝を逆さに挿したところ、不思議なことにそのまま成長したそう。その松は、幹の一部が壱岐神社に奉納され、地名の由来にもなったといわれています。
子どもたちでにぎわう古墳!【山の鼻1号墳】
少し西へ移動して、山の鼻1号墳へ。この地域は、古墳時代にたくさんの古墳が築かれたことで知られ、山の鼻1号墳を含む7つの前方後円墳を中心に、「今宿古墳群」として国の史跡に指定されています。
山の鼻1号墳は墳長38mで、発掘調査により中国・後漢時代の銅鏡片や、4世紀頃の土師器が出土しています。このことから、今宿古墳群の中で最古の首長墓と考えられています。
JR筑肥線「九大学研都市駅」やコミュニティセンター「さいとぴあ」の近くに位置し、現在は古墳公園として整備。盛土で古墳を保護し、縁石によって本来の形がわかるように復元されています。初めて訪れた方は、まさかココが古墳と気づかない人も多いとか。辺りを見渡せる見晴らしの良い小高い丘のようになっており、解説パネルなども設置してあります。まち歩きの途中、リフレッシュに訪れたくなる心地よいスポットです♪
山の鼻1号墳
- ■住所:
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福岡市西区徳永字山ノハナ265-1
- ■アクセス:
- JR筑肥線「九大学研都市前駅」より徒歩2分
古墳の中をのぞいてみよう♪【丸隈山古墳】
さらに西へ歩くこと約5分。同じく今宿古墳群を構成する「丸隈山古墳」が見えてきます。
丸隈山古墳は5世紀前半に築かれた、墳長約85mの前方後円墳です。後世の整地の影響をかなり受けているものの、住宅街にありながら、なんと福岡市内最大規模!
後円部上部には、当時まだ朝鮮半島から導入されたばかりの初期の横穴式石室があり、中には遺体を納めた石棺が残されています。大きな石棺の中央を、板状の石で縦二つに仕切っていたことから、少なくとも二人の埋葬が計画されていたことが考えられます。石室は現在も現地に保存されており、入口を覗くと、石棺を間近に見ることができました。
石室は江戸時代の寛永期に発見され、鏡や鉄刀などの副葬品が出土し、その様子は貝原益軒著『筑前国続風土記』にも記されています。石室は発見以来地域の人々によって何度も修復され、今日まで大切に守られてきました。
毎年8月には丸隈山古墳を中心に、「丸隈山古墳慰霊祭」が開催されています。古墳はいまも地域の暮らしに息づいているんですね…!
丸隈山古墳
- ■住所:
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福岡市西区周船寺
- ■電話番号:
- 092-711-4666(福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課)
実際に当時の様子を見て、触れることのできる遺跡が多い点は西区の魅力の一つ。今回ご紹介した場所や、その周辺の遺跡を散策しながら、本物のスケールを体感しましょう!
今回巡ったスポット一覧
- ・今津元寇防塁
- ・生の松原 元寇防塁
- ・壱岐神社
- ・山の鼻1号墳
- ・丸隈山古墳